大学で建築設計を学んでいて楽しい授業が建築設計演習であります。
この授業は、教官が設定した課題(テーマや敷地などを設定)に対し、学生が設計提案をするというものです。
ここで建築の設計というものが自分が好きだなと感じるのであれば、それをもっとうまくなるためにはどうすればいいかを一生懸命模索してほしいと思います。
反対に、ちょっと自分にはあわないなと感じ始めたのであれば、建築は設計がすべてではないので、違うアプローチを考えてみる、そんな機会にしてほしいと思います。でもそこでがっかりはしないでほしいです。建築を設計するアプローチを知るだけでも、今後の人生にはおおいに役立つものにはなると私は思いますから!
まあとにかく、建築の設計がやってみたくて大学の建築学科に進学した人が多いでしょうから、積極的に取り組んでみてほしいですね!今回はそんな設計課題についてを書いていきたいと思います。
誰かのために設計したほうが絶対楽しい!個性は後でついてくる!
よくメディアでとりあげられているような建築家がいますよね。彼らは個性的な建築作品を発表して建築設計でお金を稼いでいます。建築家それぞれに作品の特色があります。
みなさんも「自分の作風はどうしよう?」なんて考えることになるかと思います。でも、いきなり最初のうちから彼らのように作風をもとうとしないでください。そういうものは最初からこれと決めるものではなく、たくさん設計をしていくうちに自分はこういう設計スタイルなのかもしれないなととらえなおすことで成り立っていくものです。それはあなたが今生きている時代であったり、自分の好きな素材、プランニングのパターンなどに気づいてきたときに意識するものなのではないでしょうか。
だからまずは、設計の課題が家であれば家に住む人を想像して、意識して、その誰かのために設計するということ、それを素直に表現するようにしましょう。基本的な設計という行為そのものを面白く感じるか、それを確かめることが大切だと思いますし、そのほうが迷いがなくなります。
なんでも人は真似から入るものです。でも敷地がまねする作品と同じではなく、その建物に住む想定の人も異なるのであれば、おのずと真似している部分からそれてくるはずです。そのそれた部分を自分の力で調整しようとすると、なぜかそこに個性が宿り始めるんです!
エスキス授業にはきちんと出席しよう!
エスキス授業は設計演習の途中段階で大学の教官などから指摘をもらうことをおもに言います。これ、最初はなかなか作業が進める技術がないため、足が自然ととおのいてさぼってしまいがちなのですが、このエスキスしてもらう機会が今になって大事だなとつくづく思います。自分ひとりで考えてくると、どうしてもどこか自分本位となってしまい、誰かのために設計しているということをどこかに置いてきてしまうことがあります。そのとき、誰かが客観的な意見を言ってもらうということがはっとさせるものであるのです。
それに、私たち建築を設計するものにとって、お金を出して建てようとする施主があってこそ仕事が成り立ちます。設計は施主との対話によって成り立つわけです。なので自分一人だけのものでないということを、まずエスキスによってそれを体感してほしいと思います。
講評会に参加して、優秀な課題作品をよく見よう!
締切日に設計課題を提出すると、たいていその日の授業で講評会が行われます。それぞれ大学の授業によってやりかたは異なるとは思いますが、まずひとつの段階としては、エスキスの担当教員ごとのグループに分かれ、個人個人の提出作品に対してコメントなり意見を交わしたりする授業が行われると思います。そして、授業全体で担当教員が優秀な設計作品を各々とりあげて、その課題作品を制作した学生がみんなのまえで発表するという授業が行われるかと思います。この機会というのがまた大切!
課題を提出してしまうと、そのやりきった開放感みたいなものから、どうしてもこのような講評会をとんずらして遊びにいってしまう人たちがいたりします。
でも、優秀な人の作品を見る、発表を聞くということもかなり勉強になるのだということを、後々気づくことになります。やはり、できる人がどのように設計し、そして説明しているかというのを見るというのは自分の作品のどこができなかったかというのを客観的に考えるいい機会になるんですよね。時間がたってから改めて自分の設計課題を見直して考えるよりも、その1~2時間でそれに気づくことができるのです。
反対に講評会で選ばれた人にとっては、自分の設計内容を人に聞いてもらえる絶好の機会になりますよね。何回も言いますが、設計はクライアントがいて成立する仕事であり、誰かのためにいつも私たちは設計します。なので、その設計の意図、またはおもいなどを伝える訓練も必要になってきます。
採点された課題を自分でブラッシュアップしてみよう!
さて、教官に採点され返ってきた設計課題。終わった終わったとどっかクローゼットの奥にしまいこんでおくということをしていませんか?
それらはあなたの作品であるのです。そのファイリングされた作品群はあなたの建築学生生活をあらわすものであり、また自分自身を相手に売り込む道具となるのです!飯の種になる可能性もあるわけなんです!!
たとえばそれは就職面接などのための自分アピールの資料にもなるでしょうし、もしかしたらその設計が近いかたちで実現に結びつくことも可能性としてはないことはないわけですよ。
そしてなぜ早い段階でやったほうがいいのかというと、一気にやるのはたいへんだからです。私がそれでした。面接の日まで寝ないで作品をまとめてファイリングして、と、あのときなんで早いうちにやっておかなかったんだろうと後悔しました。あとさっさと記憶があるうちにやっておくと、思い出す作業の時間が省かれて、時間のロスがなくなりますよ!!
まとめ:設計課題は提出後に自分がどうするかだ!!
今回は大学の建築設計課題について、私がこうしておけばよかったなと思ったことについてをつらつらと書いてまいりました。この文章で一番私が伝えたいことは、
「課題作品は評価されなくてもいい!」
ということです。ああ、でも評価された人はそのことに対しては喜んではいいと思いますけどね。でもこの最終目的は、クライアントに満足してもらう建築の設計を提案して、それを実現してあげるということだと思うんです。そのためにはこのような提案機会をフルに活用して鍛錬を積んでほしい、それがこの設計演習の目的なのではないかと私は思います。
建築の設計っていうとある程度センスや才能が必須であると考える人がいるかもしれません。でも私の自論なのですが、建築設計における天才って、そんなに必要ではないのかな、と思ったりします。ほんとうに設計の天才と呼べるくらいのレベルの人は、今の時代、建築の設計でなく、もっと先のことを見通した、私たちが考えもしないものづくりをやっていくのではないかなあ、そう私は思います。
なので、設計という作業は、ある程度できるようになるのはトレーニングと日々のすごしかたでできていくものだと私は思います。もちろんそれ自体が苦痛だなと感じるのであれば才能うんぬんでなく、適性の問題であると思いますがね。
ちなみに設計の仕事をとれている人というのは、設計ができる人、というだけではありません。これは誤解しないでもらいたいです。
たとえばそうですね、髪を切りにいく美容室の美容師さんを想像してみてください。
彼らはだいたいはお客さんに指名を受けて担当が決まっていると思います。その指名の理由ってカット技術、だけではないですよね?最初にその人が担当だったから、とか、会話が楽しい、とか、気遣いができるとか、いろいろな理由から、その人を指名しているはずです。
設計をする人もそうなのだと私は思います。
人の要望をきちんと聞いて、そしてそれを自分のなかで整理をして、どうするとクライアントは喜んでくれるのか、クライアントのために自分はどんな得意技を駆使して満足してもらうのか、その積み重ねが設計の個性をつくっていくのだと思います。その蓄積の第一歩の建築設計演習!すばらしい機会なのでその時間を大切にしてください!!